同潤會とは、、
簡単にまとめてみました、


大地震発生
 同潤會の誕生のきっかけとなったのは1923(大正12)年9月1日、間もなくお昼休みになろうという時間の午前11時58分にそれは起きた東京一円に起きた巨大地震、いわゆる関東大震災である。地震の震源地は相模湾北西部、地震の規模はマグニチュード7.9であった。被害状況は死者約58,000人、火災は東京のほぼ半分の44%が焼失してしまった。火災の原因はお昼間近だった為多くの家庭や飲食店が食事の準備に追われて火を使用していた事と悪気象条件が重なったのが原因らしい、 同月19日に帝都復興計画が始まった。
同潤會の誕生
 翌年の1924(大正13年)5月に内務省によって財団法人同潤會が設立され世界各国から寄せられた義損金の5900万円の内の1000万円の義損金が割り当てられたが、これは1923(大正12 年)年から1930(昭和5)年までの東京再建予算の1.2%であった、同潤會の最初建築は仮設木造住宅である、この仮設住宅はのちに本住宅への入居が保証されている。アパート建築は東京13箇所、横浜2箇所(住利共同住宅は除く)に建築されたアパート建築の構造は関東大震災の教訓からみて耐震、火災等に非常に優れている鉄筋コンクリート造で建築する事になった、同潤會が建築するにあたって常に当時の最新技術を開発導入していた、外壁は経年変化が 生じる事にない洗い出し工法とした。

アパートのみですが、同潤會設立から解散までを表でまとめてみました、
一部同潤會以外のアパートの紹介してます。(解体年はページ下の年表を御覧下さい)
1923(大正12)年4月
東京市古石場アパート完成
初めて東京に鉄筋コンクリートブロックアパート登場
1923(大正12)年9月1日
関東大震災発生
 
1924(大正13)年5月
財団法人同潤會設立
 
1926(大正15)年7月22日
住利共同住宅、第1-1期完成
 
1926(大正15)年8月6日
中之郷アパートメント完成
最初のアパート建築始まる
1926(大正15)年9月8日
青山アパートメント第1期完成
 

1926(大正15)年9月

柳島アパートメント第1期完成
 
1927(昭和2)年1月
代官山アパートメント完成
 
1927(昭和2)年2月17日
住利共同住宅、第1-2期完成【第1期全て完成】
 
1927(昭和2)年4月10日
青山アパートメント第2期完成【全て完成】
 

1927(昭和2)年4月

柳島アパートメント第2期完成【全て完成】
 
1927(昭和2)年6月
清砂通アパートメント第1期完成
 
1927(昭和2)年9月
山下町アパートメント完成
横浜市
1927(昭和2)年12月
平沼町アパートメント完成
横浜市
1927(昭和2)年
三田アパートメント完成
 
1928(昭和3)年2月
清砂通アパートメント第2期完成
 
1928(昭和3)年6月23日
三ノ輪アパートメント完成
 
1928(昭和3)年11月
清砂通アパートメント第3期完成
 
1929(昭和4)年2月15日
住利共同住宅、第2-1期完成

 

1929(昭和4)年3月28日
鶯谷アパートメント完成
 
1929(昭和4)年4月30日
上野下アパートメント完成
 
1929(昭和4)年5月
清砂通アパートメント第4期完成【全て完成】
最大規模のアパート
1929(昭和4)年6月18日
虎の門アパートメント完成
男子専用アパートのち同潤会本部に
1930(昭和5)年2月15日
住利共同住宅、第2-2期完成【第2期全て完成】
 
1930(昭和5)年5月15日
大塚女子アパートメント完成
日本初の女子専用アパート
1930(昭和5)年6月30日
東町アパートメント完成
 
1933(昭和8) 清洲寮完成 江東区白河1丁目
1934(昭和9)年8月16日 江戸川アパートメント完成 最後のアパート建築、東洋一のアパートと言われた。
1941(昭和16)年5月
財団法人同潤會解散
同年3月設立の住宅営団に引き継がれる

その後、戦争に入り下町にあったアパートは空襲で焼けるなど被害を受けました、大塚女子は戦時中に昇降機(エレベーター)
の使用を停止その後使用する事はなかった、江戸川は終戦後もしばらくは動いていたようだが、子供の遊び道具なるのを恐れて
使用停止したらしい、再度使用計画案もあったようだが、当時の修理費に30万円、計画は中止になったようである。
焼けたアパートメントの一部は間取りを変更した部屋もあったようだ、
終戦後、初めてのアパート建築は1947年に都営高輪アパート(解体済み)である、このアパートは同潤会の工法による建築方法で建設された、
その後都営アパートの基本となる。同潤會アパートはガス管や水道管、増築などの修理をくり返しながら、現在まで至っている。


そして、2002年、、、

同潤會アパートメントは2002年に大きな動きが生じました、それは再開発や建替えのよる解体の動きが
活発になりました、以前から解体の話しはありましたが2001年末には清砂通アパートメント第1〜4號館が
再開発決定し2002年5月に閉鎖、同年7月には解体されてしまいました。残る清砂通 5〜16號館青山、
大塚女子、江戸川アパートメントも2003年夏にすべて解体を終え再開発、建替え後、新たな建物として生まれ変わり
青山アパートメントに関しては一部のファサード(外壁)の再利用がされるようです、
清砂通アパート第1號館のRのついた階段室部分はイメージとして屋上の丸い屋根はオブジェとて残るようです
江戸川アパートメントは社交室の所をエントランスとして生まれ変わると発表されています。
大塚女子アパートメントの関しては不明です。
(横浜にあった長屋も2003年1月に解体されたと報告がありました。)


2005年5月現在の状況
解体年
アパート名【総ての棟が完成した順】
竣工年
再建後の名所
1988年
中之郷アパートメント
1990年
セトル中之郷
2003年
青山アパートメント
 2006年2月完成予定
表参道ヒルズ
1996年
代官山アパートメント
2000年
代官山アドレス
1993年
柳島アパートメント
1996年
プリメール柳島
1987年
山下町アパートメント
1989年
レイトンハウス
1982年
平沼町アパートメント
1984年
モンテベルテ平沼町
1986年
三田アパートメント
1988年
シャンポール三田
現存
三ノ輪アパートメント
 
 
1999年
鶯谷アパートメント
2001年
リーデンスタワー
現存
上野下アパートメント
 
 
2002年(第1〜4号館)
2003年(第5〜16号館
清砂通アパートメント
2005年
イーストコモンズ清澄白河
第1〜4号館跡地:フロントタワー
第15、16号館跡地: パークフラッツ
2006年完成予定
第5〜10号館跡地:セントラルタワー
第11〜14号館跡地:サウスフラッツ
2000年
虎の門アパートメント
 
大同生命本社
1992年
住利共同住宅(猿江町共同住宅)
1994年
ツインタワーすみとし
2003年
大塚女子アパートメント
 
名所未定
1992年
東町アパートメント(住利共同住宅隣接)
1994年
ツインタワーすみとし
2003年
江戸川アパートメント
 2005年6月
アトラス江戸川アパートメント